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●「今が旬の『社外取締役』に『オリザ』を添えて」の巻。


●えっと、
やはり「ようやく」という表現が正しいですかねぇ。
 待ちに待った会社法改正法案
どうにかこうにか臨時国会に間に合う形で、
ようやく国会提出されましたね。

 もちろん、
数々のドタバタに阻まれる形で、
法案成立は来年の通常国会までオアズケになっちゃったんだけど、
兎にも角にも、こうやって日の目を見られたことは、
これまでの法務省事務局の方々のご苦労なども考えると、
ホントに良かったなぁ、と。
 まずは「お疲れ様でした」と言いたい心境。

 まぁ、
個人的には、
ホントについ最近まで、
執筆含めて色々と抱えてたりしたので、
法案の提出や成立がこうやって遅れてくれたのは、
非常に助かった面もあるのですがね(笑)。

 ということで(?)、
勝手に長らく休止してましたが、
休止明け一発目の本日のツボでは、
法案提出が遅れた理由の一つでもある、
社外取締役に関する改正法案の内容について一言二言。


●まずはさ、
法制審の要綱に対する、
自民党法務部会の修正内容ですが、
こちらは各種報道のとおりです、と。

 まぁ、
その一言で終わらせたい気持ちをグッとこらえて、
一応の説明をしておくと、
法律レベル(not法務省令レベル)で、
定時総会において例の「理由」を説明せにゃならん、と、
そう記載されたわけですね。

 具体的には、
公開大会社かつ有報提出会社が、
事業年度末日に社外取締役を置いてない場合は、
当該事業年度に関する定時総会で、
「社外取締役を置くことが相当でない理由」、
これを説明しろ、と。

 この点、
要綱段階では、
法務省令レベルで、
この「理由」を事業報告に記載しろ、と、
そういう話があったんですよね。
 これと似たような話が、
法律レベルに格上げされたんですね。
 もちろん、
法務省令レベルでの、
事業報告への記載要求も維持される予定みたい。

 後は、
改正法の附則で、
今回の改正施行後2年経ったら、
社外取締役の選任を義務付けするかもよ、と、
そういう(コケ?)オドシ規定も入ってますね。

 それからそれから、
噂で聞いただけなんで真偽不明だけど、
法務省令レベルで、
例の「理由」の記載について、
ご丁寧に一定のルールが定められるそうな。
 何かというと、
①各会社の各事業年度における個別事情に応じた記載にしろ、
②社外監査役2名以上がいることだけでは理由になってないとみなすぞ、と。

 まぁ、
他にも法務省令レベルや上場規則レベルで細かい話はあるんだけど、
キモになるのは上記の点あたりかな。


●でさ、
一つの問題は、
この自民党法務部会での修正内容の評価。

 改めて言うまでもなく、
私の個人的な信条としては、
単なるネコでしょ?」から明らかなとおり、
バリバリの社外取締役推進派なもんですから、
この自民党法務部会での修正方向については、
それ自体に特段異議があるわけではないし、
むしろシンパシーを感じないではない。

 ただ、
一実務家として、
ダークサイド(?)の立場から見た場合、
率直な感想としては、

 「あんまり大したことないんじゃない?」、と。

 元々、
例の「理由」というのは、
どのレベルでのルールかはともかく、
事業報告に記載されることが想定されてたわけで、
そうすると説明義務の範囲にはモロに入ってくるわけね。
 もちろん、
そこでいう説明義務というのは、
あくまで一般的なものを指してるんだから、
株主から質問がなされた場合という前提が入ってくるはず。
 今回の追加修正によって、
仮に株主からの質問が無かったとしても、
例の「理由」について経営陣から積極的・自発的に説明しなきゃならん、と。
 単にどのレベルでのルールかというだけでなく、
そういう一応の違いは出てくるんでしょうね。
 まぁ、
そうだとしても、
これが実務上どこまでインパクトあるのでしょうかね。
 ここは正直よくわからんのでして、
総務・法務担当の皆様の率直なお話を聞いてみたいところですが、
少なくとも現時点では「すっごいインパクトありそう」という感想ではない。

 それから、
法務省レベルでは、
ご丁寧に「理由」の記載ルールが定められるそうですが、
まぁ、どこまで実効性あるのですかねぇ。
 今のところ、
100点はムリ?」で示した記載例、
これを修正する必要性をあんまり感じないのが正直なところ。


●で、
前置きが長くなったんだけど、
ようやく本日のツボの本題。

 正直、
この社外取締役の議論については、
ブログですら余り書きたくないというのが本音のトコロ。

 実際、
社外取締役推進派の自分ですら、
同じ派に属する急先鋒の方の某論文を拝見するにつけ、

 「うわぁ、説教臭いなぁ、
  これじゃぁ動かないし、反発招くだけだろう」、と、

そういう感想を抱いてしまうことがある。

 事実、
社外取締役を毛嫌いされてる方の気持ちも分からなくはない。
 私だって、
めっちゃズレまくった意見を言ってる社外取締役を見たことはある。
 明らかにズレてるので、
事務局が何とか説得しようと頑張るのだが、

 「前の会社ではこうだった!常識とズレている!!」

 この一言で、
全く聞く耳を持たない(引っ込みがつかない?)社外取締役さんは、
オモテにはなかなか出てこない話だけど、
大変残念ながら現実にいらっしゃる。
 そういう社外取締役さんに、
文字どおり振り回されちゃって、
疲弊し切っている事務局がいらっしゃる。

 このような現実を直視した上で、
それでもなお社外取締役は入れるべきなんだ、と、
そういう説明をするにはどうしたらいいんだろう?、と。
 その点を、
小難しくなく、説教臭くなく、
上手く説明したものってないんだろうか?、と。

 ずっと、
そう思ってたのですが、
当然そんな簡単には見つからず、
いつもの如く現実逃避してた時、
少なくとも何らかのヒントにはなるかな、と、
そう心の琴線に触れたのが、
平田オリザ氏の「演劇入門」。


●もちろん、
この本のテーマってのは、
社外取締役はおろか法律とも全く関係ない代物。
 
 後は、
この著者の政治的背景について、
色々ご意見がある人も相当数いるだろうけど、
そこはひとまず置いといてさ。

 この本の中では、
色んな場面に応用の利くヒントが、
上手く書き表されているんじゃないかと。

 正直なところ、

 「騙されたと思って読んでみて!」、と、

そう言い放つしか仕方ない面もあるんだけど、
キーワードを一言で言えば、

 「互いのコンテクストを丁寧にすり合わせろ!」、と。

 でも、
これだけじゃぁ、
さすがに伝わらんだろうから、
少しだけ琴線に触れたところを引用してみようかな。

「ここで言う『コンテクスト』とは、一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲といったものと考えてもらいたい。」(150P)

「ここに、少し脚の高いちゃぶ台がある。机のようでもあるし、箱か踏み台のようでもある。私はいま、仮にちゃぶ台と書いたが、さて、これをあなたは何と呼ぶだろうか。机と呼ぶ人もいるだろう。テーブルと呼ぶ人もいるだろう、箱と呼ぶ人もいるだろう。」「新婚間もない男性が、その『ちゃぶ台のようなもの』を必要としていて、新妻に、『ねぇ、あのちゃぶ台持ってきてくれないかな』と言う。妻は、『え、ちゃぶ台なんて、うちにないでしょう』と答える。」(151P)

「これは、人それぞれに、何をちゃぶ台と呼び、何をテーブルと呼ぶかが違うからである。そしてさらに、自分がちゃぶ台と呼んでいるものは、他人もちゃぶ台と呼ぶだろうと私たちは考えている。」(152P)

「ここでは、新婚だから問題があるのであって、これが長年連れ添った夫婦だと、こういうことは起こらない。この『ちゃぶ台のようなもの』をどう呼ぶか、長年ともに生活を続ける間に、家族のなかに新しい共通のコンテクストが生まれてくるからだ。」「私たちは、個人のコンテクスト、言語の差異を起点に、家族、会社、学校、地域などさまざまな社会の単位で共通のコンテクストを創り上げ、言語による円滑なコミュニケーションを可能にしている。」(153P)

「演出家には演出家の独自のコンテクストがある。演出家が『俳優が台詞をうまく言えていない』と感じるのは、結局のところ、演出家のコンテクストの枠内に、俳優が入ってこないということだ。演出家が稽古場で、苛ついたり怒ったりするのは、ここに原因がある。」(168P)

「新婚夫婦の喧嘩の例で解るように、共同体の形成には時間が必要であり、その時間とは、コンテクストのずれを摺り合わせていく時間だと言える。」「ただ怒鳴るだけで、俳優を一方的に自分のコンテクストの内側に入れようとする行為は、『演出』と呼べるものではない。優れた演出家は、…コンテクストの摺り合わせを行う。」(169P)

 この本では、
俳優が台詞を喋るときを念頭に置いて、
「コンテクスト」という言葉を使ってるんだけど、
我々が最終的に興味のあるテーマとの関係で言えば、
単純に「文脈」という直訳でも構わないし、
あるいは自分が当然の前提としている「常識」と、
そういう風に訳しても構わないかな。

 それと、
これは言わずもがなかもしれんが、
ここでいう「俳優」を社外取締役と、
また「演出家」を事務局と、
それぞれ読み替えてみて欲しい。
 
 もちろん、
社外取締役さんだって、
当然ながら自分の過去の経験に縛られているわけ。
 特に日本では、
社外役員市場なんて全く発達してないんだから、
少ない数の会社の経験しかないって、
そういう場合だって少なくないでしょう。
 そういう場合、
 
 「前の会社ではこうだった!」、と、

そこでいう「常識」というのは、
あくまで「彼/彼女にとっての常識」にすぎなかったりするのは、
当然よくあること。
 でも、
その「常識」が、
社外取締役さんとしては、
当然に皆が共有してるものと思い込んでいる。
 その結果、
「我が社」の実情に照らしたとき、
どうにも明らかにズレまくってるとしか見えない意見が出てきて、
「演出家」である事務局が苛ついたり怒ったりしてしまう、と。

 他方で、
事務局の側だって、
当然の前提としてしまっており、
敢えて口に出しては説明していない、
独自の「常識」というのがあるんでしょう。
 
 もちろん、
その「常識」というのは、
「我が社」の実情に合っていることが少なくないのだと思いますが、
それがホントに実情に合っているのか、
実は外部環境とズレ始めたりしていないのか、と。

  以前、
三種の神器?」という会社のツボで述べたとおり、

 「人間ってのは比較でしか物事を判断できないらしい」、と。

 その「常識」がホントに正しいのかというのは、
必ずしも絶対基準では判断できない話なわけだし、
そもそもチャンと光を当てて絶えず明示的に検討し直さなければ、
いつの間にか外部環境の変化とともにズレていたということもあり得る話。

 社外取締役というのは、
次善のアカウンタビリティ・システムの一要素として、
そういう「社内」で当然の前提とされている「常識」について、
それらにチャンと光を当てて、その合理性の検討に目を向けさせる役割。
 そんな風に考えたら、
それぞれが当然に「常識」としてしまっている背景、コンテクスト、
そのすり合わせというプロセス自体にも、
一定の無視し得ない価値があるんであって、
単に時間と手間のかかる「面倒臭いモノ」だけではないのかも、と。
 「優れた演出家」たる事務局として、
そういうオリザ的アプローチはいかがですか?

 
●本日のツボはここまで。
 まぁ、
結局は説教臭くなっちゃったか。。。
 
 ちなみに、
某雑誌編集者さんから、
本の紹介記事を頼まれたんだけど、
ちょっと断っちゃったんだよね。
 本日のツボは、
その代わりという意味も。


(2013年12月14日記)
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