上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

●十数年の時を経て、大きく変わったものと、他方で未だに変わり難いものと。


●「コンプライアンス」(法令遵守)

 この言葉ほど、
ここ十数年の間において、
その重みを大きく変貌させたものもない、と、
そのように言っても過言ではないのかも。

 かつて、日本の企業社会においては、

 「法律を守ってたら、飯は食えない」、と、

そう本気で信じられていた時代が、確かにあったような。

 そのような時代から十数年の時が経ち、
その間、商法(会社法)や証取法(金商法)を含めた法改正等が相次ぐ中で、
かつての時代を知っておられる企業法務の担当者の方々からは、

  「最近は楽になったよ。
  役員に対して案件中止を具申する場合でも、
  法律に違反すると言えば足りるようになったからねぇ」、と(笑)、

そのような発言も聞こえてくるほど、
少なくとも大企業の役員等の間では、
この「コンプライアンス」という言葉が、
ホントの意味で根付き始めてるとも言えるのかなぁ、と。

 このように、
少なくとも大企業の役員等の間では根付きつつある「コンプライアンス」ですが、
企業は、あくまで組織体であり、多数の従業員を巻き込んで業務を進めている以上、
当該企業における「コンプライアンス」を徹底する上で必要不可欠なものが、
いわゆる「内部統制」と呼ばれる仕組みの構築ですよね。

 この「内部統制」、
マニアックな本ブログの読者の方々には敢えて説明不要かとも思いますが、
まぁ、一応ザックリと説明してしまえば、
当該企業の内部にいる個別の従業員によって、
その担当する業務の遂行過程において違法行為等がなされぬよう、
従業員間の相互牽制を図るなどして、その業務遂行のプロセスを適正化し、
以って、その業務遂行の在り方を統制していくための仕組みのことですかね。

 ここ日本においても、
ツイてなかった?」という会社のツボで述べたとおり、
2000年に出された大和銀行事件に関する大阪地裁判決を契機として、
多くの注目を集め、そして幾多の議論も積み重ねられてきました。

 このような議論の全てを紹介することは、 
本ブログの趣旨に反しますので「敢えて」忌避しますが(笑)、
そのような内部統制の実効性を担保する上で必要不可欠なものが、
違法行為等を行った従業員に対する、
懲戒解雇をはじめとする懲戒処分の厳正な執行であることは、
少なくとも企業法務担当者の間では特に異論がないよう。

 そこで、本日のツボでは、
労働法の観点から見た「内部統制」、具体的には、
上記のような懲戒処分、特に懲戒解雇の有効性に関する労働裁判例の現実が、
企業法務担当者の意識に沿ったものとなってるのかどうか、
そのような点を述べてみようかな、と。


●さて、
本日のツボのテーマである懲戒解雇ですが、
これは当該企業の就業規則に定められた懲戒処分上、最も重い処分形態として、
当該企業という「部分社会」の中において、その構成員である従業員に対する、
まさに社会的な意味での「死刑」を意味しているとも言えるもの。

 そのような「極刑」であるがゆえに、
かつては企業においても極めて稀にしか発動されないものであり、
また、裁判所も極めて限られた場面でしか、これを有効と認めてこなかったよう。

 そして、
このような懲戒解雇の有効性を判断する上では、
少なからぬ実務家の間で根強く信奉されている、
重要なメルクマールが一つあるんですよね。

 それは何かというと、

 「自分のポケットに入れたかどうか?」

 要は、当該違法行為等を行うことによって、
当該従業員が自ら個人的な利得を得たのかどうか、という点。
 当該従業員が自ら個人的な利得を得たのでないのであれば、
それはやはり、あくまで「会社のため」に行ったのであって、
当該従業員を「死刑」にしてしまうのは酷に過ぎるのではないか、と。

 そして、このようなメルクマールは、
別に裁判規範としてだけでなくて、
日本の企業社会における一種の社会規範としても、
現に採用されていたように思います。

 あくまで伝聞なので、正確な事情は知りませんが、
かつて、ある日本の企業において、
従業員による違法行為等が発覚しました、と。
 その違法行為等は、
マスコミからも少なからぬ注目を集め、
当該違法行為等の調査を担当した弁護士からは、
当該従業員に対する懲戒解雇が勧告されました、と。
 しかしながら、
当該勧告を受けた社内の担当者は、
これでは社内での収まりがつかない、として
別の弁護士に駆け込むことになります。
 なぜなら、
当該従業員は自らのポケットには何も入れてなかったから。
 つまりは、
当該従業員は、あくまでも「会社のため」と思って、
当該違法行為等を行っていた、と。
 そうであるにもかかわらず、
当該従業員を懲戒解雇とするのであれば、
他の従業員の会社に対する忠誠心はガタガタになっちゃう、と、
そう危惧されたのでした。
 そして、
当該駆け込みを受けた弁護士のアドバイスも聞いた結果として、
当該従業員に対する懲戒解雇は避けられた、と。

 このエピソードを聞いて、

 「何とけしからん対応だ!」、と、

そのように思う方もおられるのかもなぁ、と。
 まだ若い企業法務担当者であれば、特にそうかも。

 確かに、
現在の企業法務におけるコンプラ意識からすれば、
そのように思われても仕方ないかもしれませんね。

 でも、事実としてね、
上記のメルクマールを以って、
そのような会社の対応が社会的に見ても相当だと判断されていた時代は、
確かに厳然として存在していたように思います。
 その時代に企業法務を担当されていた方の中で、
上記エピソードにあるような会社の対応を笑い飛ばせる方ってのは、
果たしてどれ位いらっしゃるのかなぁ、と。


●さてさて、
以上に述べたようなメルクマールは、
平成元年生まれが成人式を迎えてしまう現在に至るまで、
未だに、少なからぬ実務家の間で根強く信奉されているよう。

 でもね、
企業のコンプライアンス、ひいてはその内部統制の徹底、
これらに対する社会的要請が強まるにつれ、
上記のメルクマールに依拠するのみでホントに良いんだろうか?、と、
近時とみに、そのように思えてならないのですよね。

 その典型例の一つは、
最近、その発覚が増えつつある会計不正事件ですかね。
 例えば、従業員が不正な売上の計上行為に関与しました、と。
 まぁ、架空の売上だったり、将来の売上の早期計上だったりとか。

 では、そのような不正な売上の計上行為によって、
当該従業員が自らのポケットに何か入れたのか、というと、
そういう事情が見当たらない場合も決して少なくはない、と。
 確かに、業績連動賞与などを導入している場合には、
業績連動賞与の不正取得を図ったとも言い得るのかもしれませんが、
当該会計不正の実態を全体として見た場合には、
当該従業員が業績連動賞与を多めに取得するために不正計上をやった、と、
そう直ちに言い切るのは憚られるような事案も必ずしも少なくないよう。

 では、そのような場合において、
当該従業員は自らのポケットに何も入れていない/入れるつもりがなかった以上、
あくまで当該従業員は「会社のため」を思って会計不正をやったのであって、
当該従業員に対して懲戒解雇を行うのは酷に過ぎる、と、
そう判断すべきなのでしょうかね?

 実は、寡聞なる私の知る限り、
地裁・高裁レベルの裁判官の中には、
そのように判断すべきだと考えておられる方が、
現におられるようなんですね。

 でもね、

 「ホントに、それでいいの?」、と。


●このような強い違和感を抱く根拠としては、
企業法務担当者には敢えて言うまでもないことかもしれませんが、
企業(特に上場企業)の財務報告の信頼性を確保するための内部統制の構築、
これが近時、極めて重視されており、かつ、
その違反に対する法的制裁が著しく強化されていること、
この点にあるように思われます。
 
 つまり、
近時、企業(特に上場企業)の財務報告については、
これに依拠する多数の利害関係者(株主や投資家など)の存在に照らし、
これを偽ることが市場制度ひいては会社制度の根幹を脅かしかねないものとして、
特に規制が強化されてきましたよね。
 言うまでもなく、
そのような規制強化の流れは、
エンロン事件等を契機として米国で2002年に制定された、
サーベンス・オクスレー法(SOX法)に端を発しているわけですが、
日本においても、カネボウ事件等を契機として、
2006年ころより、他の分野に比して著しい規制強化が行われてきたわけです。

 そのような規制強化のうち、特に法的制裁の点に着目すると、
例えば虚偽記載のある有報等の提出者に対しては、
まず、その刑事罰が大きく引き上げられ、
個人に対しては最高10年の懲役刑、
法人に対しては最高7億円の罰金刑、
これらをそれぞれ科し得るようになった点が、
大きな注目に値しますかね。
 従来から、
コンプライアンス実務のメリハリを考える上では、
まず当該法違反に対する刑事罰の重さに着目すべき、と、
そういう実務上の感覚があったように思いますが、
特に個人に対して最高10年の懲役刑というのは、
経済犯に対する刑事罰の中でも非常に重い部類に入るものとして、
特に注目に値すべきものでしょう。
 この他、行政罰としての課徴金についても、
2008年には、その額が2倍に引き上げられている点が、
大きな注目に値しますかね。

 このように近時、
特に上場企業の財務報告を偽ることに対する法的制裁が、
他の分野に比しても著しく強化されてきているわけですが、
その背景には、
従前のような「生ぬるい」法的制裁を以ってしては、
上場企業の財務報告の信頼性を確保できない、という、
強い社会的要請を受けた上での立法判断があるんだろうなぁ、と。

 そして、このような立法判断の存在に照らして考えた時、
先ほど述べたような会計不正事件の場合において、
当該従業員が自らのポケットに何も入れていない以上は、
あくまで当該従業員は「会社のため」を思って会計不正をやったのであって、
当該従業員に対して懲戒解雇を行うのは酷に過ぎる、と、
そのように判断するのは、時代錯誤の誹りを免れないのでは?、と。
 言い換えれば、
自らのポケットに何も入れてないことのみを以って、
不正な会計処理を行った従業員に対する懲戒解雇は行き過ぎというのでは、
当該企業(特に上場企業)の財務報告の信頼性を確保するための内部統制、
これを実効あらしめることなど実務上不可能となってしまわないか、と、
もっと言えば、
近時の法改正で虚偽の財務報告に対する法的制裁が著しく強化されてきた流れと、
まさに逆行する判断ではないかなぁ、と。


●でね、
別に私自身も、この酷く更新の遅いマニアックなブログ上で、
「負け犬の遠吠え」をしようと思ってるわけではないのですよ(笑)。

 以上に述べたような考え方の一部を基礎づけ得ると読めるもの、
しかも、日本の司法権の頂点にある最高裁が下した判決、
これが実は存在するわけです。

 それは、
最高裁の第三小法廷が2002年1月22日に出した、S学園事件判決。

 寡聞なる私の知る限りでは、
星の数ほどあるはずの内部統制に関する論文においても、
何故か殆ど引用されてないようでして、
(そもそも内部統制に関する論文で労働法にまで踏み込むのが少ないようですが)
また、労働法に関する論文においても、
最高裁調査官解説を含めて殆ど評釈が書かれてないのですが、
内部統制の実務、特にその実効性の担保を考える上では、
非常に重要な判決であり、もっと注目を浴びて然るべきじゃないかな、と。

 で、この最高裁判決、
従業員の行った不正行為の内容に比して、
懲戒解雇という極刑処分が酷に過ぎるのかどうか、という、
極めて個別具体性の強い問題に最高裁が扉を開いたという点も珍しいのですが、
それ以上に珍しいのは、
当該従業員は自らのポケットには何も入れてないにもかかわらず、
当該従業員による不正会計処理の結果、
使用者の信用が失墜したことなどを主な理由として、
高裁判断を覆し当該従業員に対する懲戒解雇を有効と判断した点ですかね。

 ちなみに、
この最高裁判決に関しては、以下の判示部分を以って、
当該従業員は実質的に自らのポケットに入れていた、と、
やはり最高裁も、そういう事実認定を前提にしてるんだ、と、
そのように言う方もいるようです。

 「被上告人」(不正を行った従業員)「は、特定の業者に契約に基づかない利得を与えて、
  これと深い結び付きを持ったと見られてもやむを得ない」

 しかしね、
ちゃんと文末と文脈を読んでくれれば判ってもらえると思うんですよね。

 当該判示部分は、
当該従業員による不適切な会計処理が、
外部から、どう「見られ」たかどうかを問題としてるだけであって、
当該従業員が現実に当該「深い結び付きを持った」かどうか、
もっと言えば、当該「深い結び付き」によって個人的な利得を得たかどうか、
そんなことは問題としてないし、そんな事実認定もしてないわけですよ。

 そのことは、
当該判示部分の前において、
最高裁が以下のように述べていることからも、明らかじゃないかなぁ、と。

  「被上告人の上記各行為は、生徒の父母、学校関係者、監督行政庁、
  さらには社会一般から、上告人が不正行為を行っているという疑惑を招くことを
  避けられない・・・その結果、前記のとおり、上告人の学校関係者から、
  本件復旧工事に関連する保険金の支払方法等につき、
  被上告人が不正な行為をしているのではないかとの指摘等がされ・・・
  これらによれば、被上告人は、上告人が著しく不相当な行為を行ったとして
  社会一般から非難され、信用を失墜したことについて、責任を免れない。」

 さらにちなみに、
この事件は、株式会社ではなく学校法人において生じた事件であって、
当該従業員による不正会計処理の結果として国からの補助金交付が留保された、と、
ゆえに使用者の財務報告に公的な色彩のある特殊な事案だ、と、
そういう読み方もあり得なくはない。
 確かに、
この事件が実際に起きた1992年当時であれば、
そのような読み方に一理あるようにも思えなくはないかな。
 でもね、先ほど述べたような、
特に会社の財務報告の適正性に関する規制が著しく強化された現在において、
学校法人と株式会社(特に上場会社)との間で、その財務報告の重要性について、
敢えて区別して取り扱う理由なんてあるのかな?、と、
私自身は、非常に強い疑問を持ちますけどね。

 
●本日のツボは、これでおしまい。

 最近、以下のような発言を見聞きました。

 「裁判官のコンプラ意識は低すぎる。
  SOX法という言葉すら知らないようだ。」

 まぁ、現在の裁判官のキャリア形成の在り方からすれば、
SOX法という言葉すら知らなくても不思議ではないかもなぁ、と、
普段から裁判官に接している私だと、そんな感覚ですかねぇ。

 「裁判官だから法律は全て知ってるはず」とか、
そんな変な神格化はせずに、丁寧に準備書面で説明することが肝要かと。


(2009年11月9日記)
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://bookaholiclawyer.blog18.fc2.com/tb.php/53-da61f39b
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。