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●判例・裁判例の解説・評釈について一言二言。


●先週木曜の深夜にアップした、
あってもなくても基準?」というM&Aのツボですが、
やはり「速報」の効果か、物凄いアクセス数ですね…。
 小心者なので、ちょっとビビり気味です。。(笑)

 さて、
そのツボで書いたのは、
楽天vsTBS事件の最高裁決定という、
一つの判例というか裁判例というか、
その解説・評釈のマネゴトみたいなものなわけですが、
実は、これを書く方も読む方も、
注意しなければならない事項ってのが幾つかあるのですね。

 丁度良い機会かなと思うので、 
本日のツボでは、そんな注意事項に関して一言二言。


●で、
まず認識してもらいたいのは、
判決・決定文に書かれた、
当事者の主張に関するサマリーの限界について。

 「学者意見って必要?」という訴訟のツボで述べたとおり、
最近は学者意見ってのが、
かなり訴訟の場に出てくるようになりました。
 その派生効果の一つとして、
「面白いなぁ」と個人的に思ってるのが、
その意見を書いた学者さんがね、
自分の意見と異なる結論を導いた判決・決定文について、
かなりご立腹気味(?)に表立った場で色々と反論してること。

 記憶に残ってる限りで言うと、

 「私は一言もそんなことは言ってなかった」とか、
 「私の呈した疑問に正面から回答していない」とか、
 「重要な前提を欠落させた上で皮相的な部分だけを取り上げて反論してる」とか。

 まぁ、
お気持ちは良く分かります。

 実は、
訴訟を日常的に取り扱ってる弁護士からすれば、
そんなことはもう茶飯事に近いのですよね。
 上記のような「肩透かし」的な判決・決定文を渡されて、
夜も眠れないくらい悔しい思いをした弁護士なんて、
数を挙げればキリが無いくらいじゃないかな。
 ただ、
これまでは「敗軍の将は兵を語らず」という美徳の下、
負けた側の弁護士はただ耐え忍んで何も語らず、と。
 なので、
表立った場には中々この事実は出て来にくかった部分もあるのかな、と。

 で、
何が言いたいかというとですね、
判決・決定文に書かれた当事者の主張のサマリーってのは、
判決・決定文の結論に都合の良さそうな方向に、
少なからずデフォルメされてる可能性があるってこと。
 例えば、
重要な前提部分が欠落されてたり、
違う趣旨にまとめられてたり、とか。
 もちろん、
「伝言ゲームの問題」や「認知バイアスの問題」ってのもあるので、
そのデフォルメが故意なのか過失なのかは知らんし問うつもりもない。
 大事なのは、
そのような可能性があるということを認識すること。
 言い換えれば、
判決・決定文だけを読む場合には、
そのような限界があるということを常に認識すること。
 その限界を前提に、
その限界の枠内で語れることだけに集中すること。

 「所詮は外野。できることには限界がある」、と。
 
 先に述べたように、
こういうことってのは、
以前は弁護士なら誰でも自らの経験から知ってたわけですが、
最近は分業が進んで「訴訟専門」という言葉が出てきたように、
一部では必ずしも常識になっていない可能性もあるよう。

 そんな中で、
判決・決定文の主張サマリーだけを読んで、

 「この訴訟追行は酷い!」とか、

そんなことを表立って言う人まで出て来てるようなのですが、
うん、まぁ、何とも…。


●次に、
「立証責任」という現実の存在について。

 訴訟には「立証責任」というのがある。
 自分に有利な法的効果を発生させるためには、
その法的効果の発生要件となる事実を立証する責任がある。
 その事実が最終的に存在したか否か不明になってしまうと、
自分に有利な法的効果は発生しないものと扱われてしまう、と。
 
 訴訟を現実に経験したことがないと中々伝わり難いかと思いますが、
この「立証責任」というプリズムを通して見ると、
世の中というのは平面ではなく凸凹したものに見えてくる。
 そして、
その凸の部分だけを拾って結論が導かれるというイメージ。
 要は、
ハッキリと見えるものだけが事実として存在すると扱われる、と、
それ以外のものは世の中に存在しなかったとして割り切られる、と。

 判決・決定文の解説・評釈を書く/読む際にも、
常にこのような世界観が前提にあるということを念頭に置かなきゃね。

 このような世界観を前提とせずに、
単に色々と可能性を挙げ連ねて批評されてる場合もあります。
 立証責任の負担の下では、
抽象的な可能性など意味を成さない、
このことに思いを致す必要があるのでは?、と。

 これは何も判例・裁判例の解説・評釈に限った話ではなくて、 
 「出しゃばるな?」というM&Aのツボの編集後記でも述べたとおり、
最近の論文等を読んでて少なからず思うのは、
立証責任の所在と立証の現実的可能性の点について、
もっと突っ込みが必要なんじゃないかなぁ、と。


●最後に、
書いてる人の利害関係・立場について。

 これはもう余り説明は要りませんよね。

 訴訟でも、
利害関係人供述の評価ってのは細心の注意が必要なのです。
 それと同じことが当てはまる、と。
 「お手盛りの危険」というヤツですな。 


●本日のツボはここまで。

 「自分は出来てる」という趣旨ではありません。
 ふと気を抜くと陥りがちな点です。
 あくまで深い自戒も込めてのツボ。


(2011年4月24日記)
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