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●「色っぽい仲」ではなく「黙示の意思連絡」についての話。


●ここ十数年の間に格段に地位を高めた独禁法、
この法律は「経済法」に分類されるように、
公法と私法を包摂し、かつ、経済学とも緊密に絡み合うという意味で、
特に学問という観点からは非常に興味深い法律ですね。

 ただ、
この独禁法というのをイザ実務でやるとなると、
少なからずゲンナリとさせられるのは、
兎にも角にも実務全体の中で、
価格カルテル/入札談合という「不当な取引制限」の案件が、
相当多数を占めるという厳然たる事実の存在。

 日本の独禁ローヤーというのは、
この価格カルテル/入札談合で飯を食ってると言って過言ではないし、
それは規制当局である公取側の事情も殆ど同じ。
 言い換えれば、
独禁実務の事例・経験の蓄積というのは、
価格カルテル/入札談合にかなり集中してしまってる状態で、
その他の分野は結構未だに手薄なのも少なくないんですよね。

 でね、
この価格カルテル/入札談合というのは、
事業者間、中でも競争事業者間での共同行為の典型例なわけですが、
このような共同行為が独禁実務で取り上げられることが多いのは、
日本の企業社会が未だに「ムラ」的意識から中々抜け出せないということのほか、
独禁法の解釈としても事実認定の壁さえ乗り越えれば違法性を容易に認められる、と、
そういう事情にも起因してるのだろうなぁ、と。

 で、
本日のツボでは、
そのような共同行為の成立に関して良く議論になる、
「黙示の意思連絡」の認定基準について一言二言。


●さて、
まずは価格カルテル/入札談合を例として、
基本の確認をしていきましょう。

 よく言われるのは、
独禁法の下で価格カルテル/入札談合という共同行為の成立が認められるには、
単に行為の結果が外形上一致するだけではダメで、
それに加えて行為者間に「意思連絡」が必要ですよ、と。

 単に行為の結果が外形上一致するだけでも成立としちゃうと、
適法な単独行為の結果として偶々外形上一致しただけという場合と、
その区別がつかなくなっちゃうからですね。
 なので、
分水嶺として何らかの人為性の存在が必要になり、
そのために「意思連絡」という概念が必要になってくる。

 で、
ここでいう「意思連絡」ってのは、
一般に「合意」と言い換えられることもある。

 だけど、
民法で問題とされる「合意」(=契約)とは少し違う概念。

 なぜなら、
民法と独禁法では問題としている文脈・場面が違うから。
 民法において、
「合意」の成立が認められるかどうかは、
その内容でホントに相手方を法的に拘束してしまってよいのか、
そのように拘束しても相手方の予測可能性を奪うことにならないか、
こういう文脈・場面の下で語られるもの。
 他方で、
独禁法において、
「合意」という異名を持つ「意思連絡」が認められるかどうかは、
その内容で相手方を法的に拘束しようという場面ではなく、
その存在によって市場に競争停止という意味での有意な競争制限効果が生じるのか、
そういう文脈・場面の下で語られるもの。

 要は、
民法では相手方との関係に着目するのに対して、
独禁法では相手方との関係ではなく行為の弊害に着目する。

 このような視点の違いから、
問題とする「合意」の内実にも、
自ずから有意な相違が生じてくる。

 あくまで行為の弊害に着目する独禁法でのポイントは、
競争停止という意味での有意な競争制限効果を生じさせるに足りる程度の状態が、
行為者間において人為的な意思疎通の結果として形成されているかどうか。

 このようなポイントに照らして考えると、
そこに人為性な意思疎通が存在するのであれば、
みんなが対価の引上げを実施することを、
行為者間で明示して合意すること(明示の意思連絡)までは必ずしも必要ではなく、
行為者それぞれがね、
他の行為者により対価の引上げが実施されるだろうなぁと予測して、
そのことを心の中で「よし!」と思って歩調を揃える意思を持ってれば足りる、と。
 これが、
本日のテーマである「黙示の意思連絡」と呼ばれるモノですね。

 ちなみに、
行為者間に何も人為的な意思疎通がない中で、
行為者それぞれが勝手に他の行為者の行動を予測して歩調を揃えるだけであれば、
それは適法な単独行為と区別がつかなくなっちゃうので、
ここでいう「意思連絡」があるとは言えません、と。
 そのように他者の行動を勝手に予測して、
それと歩調を揃えるのが自社の利益に適うのであればそうする、
これは「意識的並行行為」と呼ばれる行為でして、
いわば「競争の常道」的な行為として適法と言わざるを得ない。

 で、
このような「黙示の意思連絡」が問題とされるのは、
専ら「意思連絡」を基礎づける直接的な証拠がない場合。

 なので、
これを周辺事情から推認する形で事実認定することになるわけですが、
通常、特に価格カルテル等に関して重視されているのは以下の二つの事実。

 ①行為者間での対価引上げ行為に関する情報交換(情報交換)
 ②同一又は類似の対価引上げ行為の存在(外形一致)

 この2つの事実があれば「黙示の意思連絡」はあった、と、
原則論としてはそう扱われてしまうわけですね。
 俗に「東芝ケミカル基準」などと呼ばれる事実推認ルール。

 念のため、
以上の説明からして既に明らかだと思いますが、
目と目で通じ合った程度であれば、やはり、
「黙示の意思連絡」の認定は難しいかと。


●で、ようやく(笑)、
ここから本題に入っていきます。

 冒頭で述べたとおり、
独禁関係者は、その多くの時間を、
価格カルテル/入札談合の案件に費やしているわけで、
その事例・経験の蓄積もこの二つの案件にかなり集中している。

 そういう状況の中で、
価格カルテル/入札談合と同様に共同行為が問題となる場面では、
東芝ケミカル基準をはじめとする、
多数の価格カルテル/入札談合の案件を通じて培った法的枠組みを、
そのまま単純に適用しようとしがちなのではないかな?、と。

 その典型的な場面が、
「不公正な取引方法」としての「共同の取引拒絶」。

 この共同取引拒絶でも、
そこで問題になってるのは共同行為。

 で、
そのような共同行為の成立に関する要件・認定が問題となるわけですが、
この際に価格カルテル等に関する「黙示の意思連絡」に関する法的枠組みを、
そのまま単純に適用しようという発想が出てきやすいわけですね。

 ただね、

 「ちょっと待って下さい」、と。

 今、問題にしている共同取引拒絶、
これってホントに価格カルテル等の場面と同列に論じて良いのかな?、と。


●個人的にも特に異論ないのは、
共同取引拒絶という共同行為の成立が認められるには、
先ほど述べた価格カルテル/入札談合と同様に、
単に行為の結果が外形上一致するだけではダメで、
それに加えて行為者間に「意思連絡」が必要ですよ、と。
 やはり、
適法な単独行為との分水嶺は必要ですね、と。

 で、
その中身についても、
民法で問題とされる「合意」(=契約)とは少し違う概念であって、
先ほど述べたような「黙示の意思連絡」まで含まれるのも仕方ないだろう、と。

 でもね、
問題は、この先。

 そのような共同取引拒絶に関する「黙示の意思連絡」について、
価格カルテル等と同様に、①情報交換と②外形一致、
この2つの事実があれば「黙示の意思連絡」はあった、と、
原則そう扱ってしまってホントに良いのだろうか?、と。


●実は、
先ほど説明した東芝ケミカル基準には、
その続きがあるのですよね。

 それは何かというと、
①情報交換と②外形一致、この二つの事実があれば、
原則として価格カルテル等に関する「黙示の意思連絡」あり、と。
 ただね、その続きとして、
他の行為者の行動と無関係に、
自ら単独で対価の引上げをしても顧客を奪われることはない、と、
そういう独自の予測・判断によって対価引上げがなされたことを明確に示せれば、
その場合は例外的に「黙示の意思連絡」は無いということになるね、と。

 えっと、
何が言いたいのか、
伝わりますでしょうかね?

 実は、
この続きの部分が、
「意思連絡」の認定、ひいては共同行為の成立に関して、
ホントの本質的な基準を述べてるところなんじゃないかな、と。

 つまり、
共同行為の成立を基礎づけられるかどうかというのは、最終的には、
問題とされる行為が単独行為という観点からも合理的に説明可能かどうか、
言い換えれば、共同行為という観点からしか説明できないのかどうか、
このポイントで決せられることになるのでは?、と。
 これは、
「意思連絡」というのが、元々、
適法な単独行為との分水嶺として必要とされた概念であることからも裏付け可能かな。

 ただ、
価格カルテル等の場面では、
①情報交換に加えて、特に②外形一致が認められると、
単独行為の可能性を見い出そうにも、その不自然さが比較的顕著で②の推認力が強い、
なので通常は、上記のようなホントの本質的な基準を持ち出さずとも、その前に、
その二つの事実だけでもう「黙示の意思」ありと言っちゃってOKよ、と。


●でね、
問題とされる行為が単独行為という観点からも合理的に説明可能かどうか、
言い換えれば、共同行為という観点からしか説明できないのかどうか、
そのようなホントの本質的な基準を踏まえて考えてみたとき、
共同取引拒絶と価格カルテル等との間の顕著な相違点が気になってくる。
 それは以下の2つ。

 (a)共同行為にまで及ぶ必要性
 (b)問題となる行為の能動性・積極性

 このうち、
まず(a)について説明すると、
価格カルテル等の場面、もっと言うと対価の引上げが問題となる場面では、
他の行為者も一緒に対価の引上げをしてくれないと、
自分の要求する対価だけが高くなっちゃって、
他に自分の顧客を取られちゃう可能性がある。
 その意味で、
共同行為にまで及ぶ必要性が一般的に言って高いと言えるわけ。

 他方で、
共同取引拒絶の場面では、
他の行為者も一緒に取引拒絶してくれないと、
自分だけが損をする可能性があるとまでは、
一般的には言えないような。
 その意味で、
共同行為にまで及ぶ必要性は特に高くないのが一般的。

 この(a)の相違を踏まえて考えると、
次の(b)の相違の意味が特にケバ立ってくる。

 つまり、
価格カルテル等の場面では、
対価の引上げという能動的・積極的な行為がある。
 そのような能動的・積極的な行為、
しかもそれは上記(a)で述べたとおり、
単独でやると一般に取引先を失うかもしれないチャレンジングな行為なわけですが、
それが同一または近接した時期に複数の行為者により一斉に行われている場合には、
情報交換の事実とも合わせて考えると、
やっぱりちょっと単独行為というには不自然過ぎるよねぇ、と。

 他方で、
共同取引拒絶の場面、特に新規取引の拒絶の場面では、
第三者から取引の申し出を受けた場合に限って、
それに応じて拒絶がなされるにすぎない。
 そういう受動的・消極的な行為があるにすぎないのであって、
対価引上げとも異なり、単独でも特にチャレンジングな行為でもないし、
しかも特に申出人が新規取引先候補者の場合には、
それに応じるかどうか慎重になるのも別に不自然ではない。
 そもそも、申出条件もマチマチでしょうしね。
 なので、
結果として行為者間に取引拒絶という外形一致があったとしても、
単独行為という観点からも合理的に説明可能な余地が十分残ってるのでは?、と。

 そうすると、
共同取引拒絶に関する「黙示の意思連絡」については、
①情報交換と②外形一致だけでは直ちに認定できないんじゃないかな、
やはりホントの本質的な基準を真正面から持ち出して議論しなきゃならんのでは?、と。
 もっと言うと、
その二つの事実に加えて、
③その外形一致が単独行為という観点からは合理的に説明不可能であることを、
公取側で積極的に立証していく必要があるのではないかな?、と。
 その場合には、
単独行為という観点から合理的に説明可能な事実を排斥した後でなお残る事実で、
単独行為というには不合理ということを立証しなきゃならんのでは?、と。

 今の実務は、
ここら辺が余りにナァナァな感じがするのは私だけでしょうかね。
 企業活動に無用な委縮効果を及ぼさないためにも、
上記のような点を明確に打ち出すべきじゃないかなぁ、と。


●本日のツボは、ここまで。

 独禁という法分野は、
未だにロジックというよりも、
「誰それが何と言った」というようなことが、
かなり幅を利かせてるような個人的感想。
 各種ガイドラインや解説も、
よくよく読んでみると実は、
本来突っ込んで語られるべき点が抽象的に留められてたり、とか、
結論は分かったけど理由付けがイマイチ不明だったり、とか。

 度重なる自主規制の結果インパクトが無くなっちゃいましたが(笑)、
順番が逆じゃない?」という独禁のツボで批判した審判制度、
この制度の廃止がようやく現実味を帯びてきております。
 この「お手盛り」の審判制度が廃止されることで、
独禁法分野における「人治主義」の「終わりの始まり」になるよう、
個人的には強く願ってやまないというのが一実務家としての正直な気持ち。


(2011年5月2日記)
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