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●「世界市場」というレッテルについて。


●ちょっと唐突ですが(笑)、
人の認識する世界ってのは、あくまで、
それぞれ主観的なものでしかあり得ないのですよね。

 そのような主観的な世界を構築する上での重要な要素の一つ、それは、
その人がそれまでの人生の過程で頭の中に詰め込んできた言葉なんだそうですね。
 つまり、
人の認識というのは、
その覚えてきた言葉によって形づくられている部分がある。

 で、実は、
そのような人の認識のあり方というか限界というか、
それを冷酷に踏まえて編み出された代表的な思考停止誘導方法の一つが、
ある現象に対する一定の言葉によるレッテル貼り。

 このようなレッテル貼りがなされると、
客観的な性質如何にかかわらず、
その現象に対する人の認識のあり方というのは、
その言葉の持つイメージに容易に囚われてしまう、と。

 で、まぁ、
そのような思考停止誘導を意図したのかどうかはともかく、
不適切なレッテル貼り効果のせいで、
内容の理解が難しくなってしまったモノが、
法律の議論の中でもチラホラ見受けられるのですね。

 本日のツボでは、
そのような例の一つとして、
独禁法の文脈における「世界市場」というレッテルを取り上げようかと。


●「世界市場」、
グローバル化の進展が著しい現代において、
何とも甘美な響きのある言葉ですよねぇ。

 この言葉ってのは、
私のような素朴な人間が受け取るとですね、
日本という何とも狭苦しい国の境を超越して、
世界中のソコカシコに存在する多数の供給者が、
世界中に散らばる無数の需要者の獲得を目指し、
まさに縦横無尽に競争活動を展開していく、と、
そういう市場が想像されてくるのですよね。

 実際、
マスメディアの方が、
独禁法の文脈において「世界市場」という言葉を使う際にも、
どうやら、そのような縦横無尽な市場が想定されているよう。

 もちろん、
グローバル化した企業活動の実際のあり方に照らすと、
そのような想像でも間違ってないようにも思われてくる、と。


●でもね、

 「ちょっと待って下さい!」、と。

 今問題にしてる「世界市場」ってのは、
あくまで独禁法の文脈の下でなんですよね。

 で、
ここでの「独禁法」ってのは、
あくまで日本の独占禁止法。
 もっと言うと、
「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」、
ここ日本において、その国家主権が及ぶ範囲でのみ適用される法律にすぎないわけ。
 さらに言っちゃうと、
企業活動の実際のあり方はともかくとして、
あくまで国際秩序は未だに国家単位を基礎にしてるわけ。

 何が言いたいかというと、
日本の独禁法ってのは、
あくまで日本という一つの国家の法律にすぎないため、
日本における競争の維持・促進のみを目的とするものであり、その結果、
日本国内の需要者の保護にしか興味がないし手も出せないわけ。
 どんなに横文字の概念を色々と輸入してきたとしても、

 「あくまでドメドメ」、と。

 なので、
上で述べたような「世界市場」の素朴なイメージ、
世界中のソコカシコに存在する多数の供給者が、
世界中に散らばる無数の需要者の獲得を目指して、
まさに縦横無尽に競争活動を展開するような市場ってのは、
独禁法の保護対象ではないのですよね。

 少なくとも、
そこで問題とする需要者というのは、
日本の国境を越えることはない、と。


●では、
シェア高いからダメ?」という独禁のツボでも触れた、
2007年における企業結合ガイドラインの改正の際、
各所で「『世界市場』が正面から認められた!」って騒いでたのは、
一体全体、何のお祭り騒ぎだったのか?、と。

 これはね、
日本国内の需要者が有する選択肢、
その中に入る供給者の範囲が日本の国境を越えることはあるよ、と、
そういうことを認めたにすぎないのですよね。

 つまり、
そこで問題とする需要者の範囲はあくまでドメドメで国境を越えることはないけど、
他方で、供給者の範囲は国境を越えることもあるよ、と。
 従前は、
国境の外に存在する国外供給者というのは、
「輸入拡大の可能性」というフィルターを通じてしか認識されないような書き振りだったけど、
もっと直截的に国外供給者そのものを含めて市場分析することもありますよ、と、
そのように書き振りを改めたのが2007年改正だったのですね。

 もっと言っちゃうと、
独禁法の文脈での「世界市場」ってのは、
ある意味、片面的というかイビツというか、
片一方だけがグローバル化してて、もう片一方はあくまでドメドメのまま、と。
 もちろん、
独禁法が問題とする「世界市場」での反競争性を検討する上で、
冒頭に述べた素朴な意味での「世界市場」の状況が参照されることはあるんですけど、
あくまで両者は別物なのです。

 この正確なイメージってのが、
未だに広く共有されていないのは、
「世界市場」という不正確なレッテル貼りのせいでもあるように思うのは、
私だけなんでしょうかね。


●ちなみに、
国境の外に存在する国外供給者、
これを「輸入拡大の可能性」というフィルターを通じて見ていくか、
それとも、直截的に国外供給者そのものを市場に含めて捉えていくか。

 この両者ってのは、
元々が連続性のある話なんだけど、
後者の形で捉えた場合には、
国外供給者による供給分全て(国外供給分の全てを含む)が、
国内需要者にとっても利用可能性のあるものと捉えられる。
 その結果、
前者の場合と比較して、
現状の国内供給分の値上げに対する牽制力がより強く認められるので、
合計市場シェアが高い企業結合などもより認められやすくなる、と。


●本日のツボは、ここまで。

 全然関係ないんですが、
私が時折立ち寄らせていただく某ブログで、
「『ブログなんだから本質だけ短く書いて』というコメントを受けた」、と、
そのような書き込みがありました。
 そのコメントが真に意図する点はともかくとして、
これを見て私の頭の中を瞬時に駆け巡ったのは、

 「そこでの『本質』って『結論』のことを言ってないかな?」、と。

 仮にその理解が正しいのであれば、ちょっと危険かもなぁ、と。

 「『裸』だと危険?」という諸々のツボからも分かるかと思いますが、
法律の議論の本質ってのは、その結論にあるんじゃないんですよね。
 むしろ、
その結論に至る法的思考プロセス、
そこでのロジックの作り込みにこそあるのだと思うのですよね。
 そうだとすると、
ロジックなんだから、
ある程度の長さ・まとまりを持った説明が必要になるのは仕方ないかなぁ、と。
 そういう意味で、
最近流行りのTwitterってのは、
速報はともかく法律の議論には向かないような。

 「マネるなら命懸けで?」というM&Aのツボでも述べたとおり、
実務経験を通して一番危険だと思うのは、
中途半端に結論だけ知ってることなんですよねぇ。
 まぁ、
ケースバイケースで、
結論だけで終わらせることも、
ロジックをボカしちゃうことも、
もちろんありますけどね。


(2011年5月11日記)
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